逆転裁判 21話 & 遊戯王ARC-V 121話 感想

逆転裁判 21話 「さらば、逆転 - 1st Trial」

私の初逆転裁判は2だったので、結構思い入れがある作品です。

ただプレイしたのはもう何年も前なので、あまり覚えていないというのも事実。

冥が撃たれて代わりに御剣が来るとか完全に忘れてた……。

ただもちろん覚えていることもあり、王都楼の面会シーンでサイコ・ロックがなかったのは寂しいですね。あそこがあるからこそ後の展開が活きるのに。

2のオバチャンが動く姿を見れただけでも、逆転裁判はアニメ化してよかったと思います。つーかカタカタカタって口で言うのかよ!

しかしアレですね、霧緒さんを見ていると、こう、なんて言うか、苛めたくなるというか。

具体的に言うと彼女からは第二次スパロボZのシオニーと同じものを感じます。

 

遊戯王ARC-V 121話 「最凶の烙印」

またもやアバンは前回の使い回しでした。尺が余っているのかとか、そんな尺があるならエクシーズ次元編をもっとどうにか出来ただろとか、今まで通りあと半年で終わるのかとか、そもそも着地点は考えているのかとか、疑問が尽きないアニメ。それがARC-V。

BBはあしたのジョーに出てくる野生児ハリマオでした。彼は野生児なので命に勝るプライドなど無く、生き残れたら恥も外聞もなく露骨にホッとするのでした。

ジャックは相変わらずかっこいいですね。「迷いがあるならデュエルで語れ!」

???「だって当然だろ?デュエリストなら」

スターシステムで登場したキャラの中で株を上げたのはジャックだけですね。クロウはもともと格好良かったのであまり変わらず。エドはだだ下がり。

さて目下一番の問題は遊矢がBBに対してもエンタメデュエルをするかどうかです。ここでしなかったら遊矢は相手によって自分の信条を出したり引っ込めたりするキャラということになります。反対にエンタメしたならば、遊矢の株は上がります。出来れば勝鬨くんの時のように頑張って欲しい。

今までのキャラはどうだったか。

デュエルを楽しむことをモットーとする十代は、ユベル編で楽しむとかどうとか言ってられなくなり楽しむ心を失ってしまいました。これはスマートなやり方だと思います。一度完全に信条を捨ててしまい、最後にはかつての心を取り戻す。これなら文句は言われません。

遊馬は……微妙なラインですね。「デュエルしたら仲間」と言うのが彼の信条ですが、トロンやフェイカー、ドン・サウザンド等の巨悪に対してはそういう事を言いません。

一方シャーク、カイト、Ⅲ、アリト、果てにはベクターに対してまで遊馬は手を差し伸べることをやめません。そういった怖いぐらいの信念が遊馬先生と呼ばれる由縁です。

この違いは一体何なのか。メタ的に言えば、上であげたボスたちにそういう事を言っても視聴者は冷めるだけ。なんせ世界の危機ですから。特にドン・サウザンドなんかはどうしようもないほどの悪です(ベクターもどっこいどっこいだけど……)。

遊馬の中に、仲良くなれる人となれない人の線引というか、超えちゃいけないラインとかあるのでしょうか?(しかしベクターも助けようとしたしなあ……)

大事なのは遊馬の信条は問題なく視聴者に受け入れられたということです。その点遊矢はどうにもブレているような気がして見ている方は納得出来ないでいるのです。果たして今後遊矢はどうなるのか。

そもそも考え過ぎなのかもしれません。遊戯王は言ってしまえば販促アニメであり、ホビーアニメであるわけですから、そこまで物語に何かを求めるほうが間違っているんじゃないでしょうか。

今まではたまたま一般的なアニメとしても面白かっただけで、高尚なテーマだとか信条だとかは、本来無くてもいいものなのかもしれません。

ただ、今までアニメが面白かったからこそ、遊戯王は今日も世界中で売れ続けるほどシリーズ化出来たのだと私は思うのです。